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グルーヴの正体

ジャズに限らずグルーヴのある音楽にとってそれがあるかないかというのは演奏のクオリティを決定づけるかなり重要な要素ですが、一方で日本人が感覚的に苦手な部分かとも思います。

日本人が苦手な理由としては西洋画と浮世絵(もしくはアニメーション)の違いに例えられるのではと考えています。
前者は立体的な広がりの中に世界を捉えているように感じますが、日本人の感覚は対称的に平面的な感覚に拠っているように思います。
それは言語(イントネーション)の違いにもあらわれているように思うし、文化全般に及ぶ西洋と東洋との感覚の違いではないでしょうか。

色々な演奏を聴いて良いグルーヴについて考えてみると二つの重要なポイントとして、まずタイムが正確であること。そしてそれを前提として、ゆらぎ(うねり)があることが挙げられます。

この二つはある意味で矛盾していて、正確でありながらゆらぎがあるというのは見る角度が一方からだけだと説明がつきません。
しかし音が空間に作用する立体的な現象(空気の振動)と考えると、そのズレこそがグルーヴに必要な要素のように感じます。

平面的な感覚でグルーヴを捉えてしまうと、正確ではあるが機械的な演奏になってしまったり、ゆらぎばかり意識して単にテンポ感が悪いだけといった状態になりがちです。

と分かっていてもなかなか平面的な感覚から抜け出すのは難しい。
あるいはその日本的(平面的)美意識の中にも答えがあるのかもとも思いますが、そこはまだまだ考え中。

帰り道の道順

アドリブの面白さはいつもの帰り道をどういう道順で帰るのか、とうことに置き換えられるのではと思う。

アドリブつまり即興演奏を最小の単位に分解すると、アプローチノートからターゲットノートへの音の繋げ方と言える。
その原動力はドミナントモーションであり、この場合言うなれば家に帰りたい欲求といったところか。

もちろん第一の選択肢は帰り慣れたいつもの道なワケだが、たまには違う道で帰りたくなることもある。大体誰でも2、3パターンのよく使うルートがあるはずで、その時の気分によってそれを選んでいるのではないだろうか。

しかし現実では当然道として既に作られた歩道からルートを選んでゴールへとたどり着くわけで、まさか途中で他人の家の中を横断したりはしない。

しかし実は音楽の上ではそれはいくらでも可能で、人の家の壁をぶち抜いて最短直前距離で帰ってもいいし、途中その辺の木に登って道草食ったっていい。
選択肢はほぼ無限に存在していて、それを選ぶのその時々の自分の気分(感性)なワケだ。

でも実際はどうも現実の帰り道みたいに帰り慣れた道順(アドリブ的にはフレーズと言い換えられる)で演奏してしまうことも多い。

それは発想の時点で現実の帰り方に則したものになってしまっていることも原因かなと思う。
真に自由な発想で臨めば一歩あるけば砂漠の真ん中に、もう一歩あるけば山の頂上にだっていけるはずで、人間の想像力次第なはずである。

ただし壁を壊して進むにせよ砂漠を歩くにせよ、その想像力に応じてそれを想定した練習も当然必要かと思う。

しかし一方で、本当に自由な発想ならばいつもの帰り道でも一歩一歩踏み出す中に常に新しい発見があるのかとも思う。

 

 

 

デザインしないということ

一昨年の年末、web上でコムデギャルソンのデザイナー川久保玲氏への2019年春夏コレクションについてのインタビュー記事が目にとまりました。

抽象的なイメージを形にして、服ではないような形を作ることはある程度やりがいはありました。しかし、もう新しさを感じなくなったのです。常に新しく、強く、人の心に刺激を与えて前に進むことを目指してきたけれど、その方向では次の新しさを見つけることができなかった。そして、デザインしないことがデザインではないかと気づきました。心の中を探って、出てきた中身を素直にシンプルな形で出すしかないと。


心地良い生地で、綺麗に仕立てた服にあえてハサミで切れ目を入れて壊してしまう。それだけがデザインでした


後で気づいたのですが、ハサミを入れることは古いものを断ち切って次に進むということ。自分なりに納得しました。ストレートに切っただけに見えますがそう見せるためにはかなり技術が必要でした。探して、探してようやくたどりついた線なのです。


ある気持ちを持って、じかに入り込まないと本物は作れない。それが着た時に何かしら感覚に影響します。そういうことを考えないで過ごせば安価なだけの服や毎日同じ服でも構わないのでしょうが、何か考えて生きていれば本物の服が必要になるのだと思います。


(「最近のファッション界には、新しいデザインよりもショーの演出や売り方で新鮮に見せる傾向がありますが。」という問いに対して)

ファッションはもう少し、まず作ることそれだけに力を注がなければならないと思います。

久々に見返してみて、音楽にも置き換えられる部分が多いのではと思います。

最近時間だけはあるので色々練習したり音源を聴いたりしてるんですが、特にビバップ以前の音楽もよく注意して聴くようになりました。
Louis Armstrongのバンドで活躍したトロンボニストのTyree Glennなんかもコピーしてみたりしましたが、内容自体はシンプルでまさに「ストレートに」吹いてるだけに聞こえますがどう聴いても良いソロで、それは音使いとか楽器のテクニックだけではどうも説明がつかない。

インプロヴァイズは自分で一度辿った道、つまり出したことのある音しか基本的には吹けないと思います。ビッグバンドで譜面を吹くときなんかもそうで、書かれていて道筋が決まりきっていることを吹くしかありません。

ではどうやったらそこに新鮮さや新しさを表現できるのか、ということに関するヒントがこのインタビューの中にはあるように思います。

あと最近は家にいて安価な同じ服ばかり着てるのでそろそろ本物の服も着ねば。。

漂うようなタイムについて

Lester YoungやWarne Marshなどを聴いていて、あの漂うようなタイム感は一体どうやっているのかが気になる。

ゆったり吹いているように聴こえるけどレイドバックしているわけではないし、あくまでテンポは正確で一定。

今の所の仮説は歌い方というか、アーティキュレーションでゆったり聴こえたりスピード感あるように感じたりするのでは、と思う。

それを踏まえて今日練習していて気付いたのは、使う音ばかりを意識してモチーフなりフレーズを組み立てるとどうも一定のテンポに乗れない箇所が出てくる。タンギングやアーティキュレーションもリズムを邪魔するような位置でついてしまっているということ。

リズム優先にして音を繋いでいく頭に切り替えが必要なのと、替えポジとタンギングのコンビネーションも大幅に改善が必要。

トロンボーンはこういうとき難しい楽器だなーと思う。一定のテンポとピッチで演奏するという上でスライドという仕組みは基本のハードルが高い。
Jimmy Knepperは替えポジ練習の鬼だったという話を聞いたことがあるけれど、なるほどだからあんなに滑らかに吹けるのかと改めて思いました。

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